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2010/08/05

映画『インセプション』雑感

この前の日曜、ファーストデイ割引を活用して観てみたら面白かったので触発されてメモ。まともなレビューの体は全く為していない、つか改めて読んだらマジキチな感じだわ。

ネタバレは特に無いはず。メタフィクション的な作品だよね、という部分までネタバレ?…と思ったが書いてるうちに全部ネタバレのような気がしてきた。続きの前に沢山改行を入れておく。

まともなレビューは意外と上手くまとめらているこれなど→【ネタバレ】 映画「インセプション」を語るスレ:アルファルファモザイク
「向こうの俺らが作った階層説明」とか非常に有益。

(追記)これなんかも→結局、ディカプリオは現実に戻れたの? 『インセプション』の感想&考察まとめ - はてなブックマークニュース













































■モルの顔がなんとなくモーフィアス@マトリクスに似ていたのはわざとだろうか
名前も微妙に。も、だけだけど(モルフィアスと表記すれば「る」までと言えなくもないがlとrの違いがあるような)。というわけでマトリクス的な映画であり、この世界が本当の世界でないかも、という問題を描いている、と受け止めた。本当の世界はどこか別なところにある、と。要はメタフィクション。
『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』もどこかに触れられていたようにそういえばそうなんだけど、なんか印象が薄いな。

■マトリクスがシリーズを追うごとにかなり浅いメタフィクションになっている部分を上手く回避しているような気がする
んー、けど、どうなんだろ。逆に妙にパーソナルなところに行っている嫌いがある。主人公と、亡くなったというその妻の話を指しているわけだが。大文字の歴史(マトリクスが扱おうとして失敗した)でなく小文字の歴史だが、マトリクスにしろインセプションにしろ歴史あるいは物語に依拠しているのは変わりない。というかそれは映画なり小説なり一定の構造を持ったものとして必然。
他方、全体の構成として、夢を乗っ取るというのは科学的にあり得る話(マインドコントロールとか。コカコーラのビンがちんぽw、は無しにしても)でSFとして説得力がある。そこを功利的な動機で推進しているのも善悪論から脱することに成功している一因か。まあその部分(渡辺謙演じるサイトー)の説得力が色々いまいちで脚本がイケテないというのはさらっと幾つか眺めたレビューの通りではあるが。
あ、妙にパーソナルなところに行ったのはマトリクスもか。「愛は勝つ」的な強引な展開があったような記憶がある。

■世界の階層化
現実と考えられているところのをW0、夢によって潜り込んで行く世界をW1...Wnとする。この映画ではW4まで行っている。マトリクスがW0=善、W1=悪になってしまった(正確でないかも。確かそんな感じだったような)のに対して、善悪でなく上記の通り技術の問題として扱っている。どの世界、階層が本当というわけでは基本的には無い。したがってW0も本当には信頼出来ないという話にならざるを得ないわけで。

■「本当の現実」というところに関しては『π』がやっぱり面白い
『π』はW0の基底にあるところの数式を巡る話。まあW0がW0であるとすると求めるところの基底(あるいは純粋存在)はW0に存在しないものになるはず。W(-1)なのか、W0のマイナス一乗なのか知らんが。でそこを突き詰めるとキチガイになってしまうよ、と手っ取り早く言うとそういう映画。ラストシーンだったか、素朴な(求めていた基底のような純粋なpureという意味でなく、単純に素朴なnaive)W0の美しさが捉えられているのが印象的なわけで。
『π』は本当に好きな映画で、それに比肩するような作品が現れたことが素朴に嬉しい。

■W0の基底にあるところのものを追求するのが哲学
狭義の、特にギリシア哲学以来の歴史を持つところのいわゆる西洋哲学。ただそれも隘路だよね、と改めて思ったりして。『π』で求められていたような数式、あるいはそれを把持しようとする手法(プラトンのイデア論、カントの先験的観念論、ヘーゲルの弁証法、フッサールの現象学)はどれも有効でないし、端的に言って面白くない。有効でないのは狭義の科学(自然科学)の進歩によるものだろう。面白くないのは言わずもがな。カント『純粋理性批判』ヘーゲル『大論理学』を面白く読んでいる人とか本当に居るのだろうか。まあそういうド変態さんもごく稀に居るのかもしれないけど、圧倒的大多数の人にとっては無縁の代物。他方科学の成果は享受せずに生活することは出来ない。

■面白い哲学といえば、最近の日本だと東浩紀とかになるんだろうけど
宮台真司でもなんでもいいんだけど。で彼(ら、彼女ら)がW0に関するところ(カントとかヘーゲルがゴリゴリとやったような局面において)で面白いのかというと、そうではないような。もちろんアカデミズムの世界でやっていくためにそこも押さえているわけだろうが、それよりも上のレイヤー、W1なのかW2なのか、でキャッチーなことを言っているために面白くて一定の人気があるのだろう。要は本質でなく現象を取り上げている。現象の本質を掘り下げればフッサールの現象学みたいなことになるのだろうけど、そうでなく現象を現象として取り上げているという意味で。

■インセプションの面白さあるいは見せ方の上手さもそこ
特にW0をじくじく弄っている、なんつーか私小説的な『π』に比べて。W0-4の往復と各レイヤー・世界においてハリウッド映画的なアクションを上手く挟んだ点。映画として密度が濃い。これは映画の中においても夢の中では時間の密度が濃いことになっているのと合致しており、メタフィクション的な物語として構成が上手い。一般に映画の観客は2時間ほどで短くて数日長ければ数年の時間の流れを体験するわけだが。もちろん逆に2時間で2時間しか流れないものもある。『十二人の怒れる男』(←実は見たことないようなw)、その本歌取りの『十二人の怒れる日本人』。文芸的なものなんかでもっと実験的なものがあるのかもしれんが、とりあえず管見の限りで。けどそのような作品でも、その映画が切り取っているよりも前に流れた時間、それによる諸物語に依拠している。じゃないとキャラが立たないわけで。

■W1とかW2とか、要は仮想世界、あるいはW0のサブセットなわけだが、そういう閉じた世界あるいは特定のレイヤーでゴニョゴニョするのが論壇とか文壇とか
まあ政治でも経済でもいいんだけど。文壇とか論壇はレイヤーでなく横並びに一見思えるけど、いわゆる超越とか超克を繰り返しているので階層的になっている。もちろん横並びの面もある。上手く超越したように見せたり、横から適当にパクって来て面白いことを言う・書くのかが勝負。

■モル=ララア
アムロの夢に執拗に出てくるララアはこの映画におけるモルと同じ。実質的に殺してしまったという点でも同じ。モルはコブによるインセプションからの自殺、ララアはアムロによる過失致死、と微妙に違うけど。

■ハッピーエンド?
ぐぐったらリストの先頭の方に出て来た映画.comに行ってみたら、上の方にあった痛いレビューが目に入ってしまった。そもそもこの映画を「ミステリー」に分類して変な解説をしている時点でアレなのだが、その先のブログに行くと、ラストシーンでトーテムである駒はその後止まったはず=ハッピーエンドである、としているが、根本的に映画の意図を見損なっているような。この世界が本当の現実である保証などどこにも無い可能性がある、という話だし、特にスクリーンの中で繰り広げられていた世界に「本当」を託すことなど出来ない、あれをハッピーエンドとして安堵しスクリーンの前を離れ日常の現実へと帰って行くことは出来ない、という話。お前が帰る現実は本当の現実か、という問いを突き付けられている。ような気がする。少なくとも勝手に駒は倒れる方に掛けるのは間違っている。そこは少なくともオープン。

■つか、映画コムの感想とか見てると誤読している人が多いな
解釈は人次第で多様とはいえ基本的なところまで理解出来ていなかったりして。上記のコマが止まるはずというのもそうだし(ただの勝手な解釈で、解釈の一つと言えなくはないが、作品の意図を著しくというか決定的に損なう酷い解釈)、「夢の世界では重力も距離も時間もない。数秒の眠りの中で人は何十年も年をとる。」とか第一文と第二文で言っていることが違うし、第一文のような設定は無いし(「ない」でなく「恣意的である」ならまあ納得。ただ時間に関しては第二文の通り夢の中の方が早く進む)。
うーん、他にも変だこの人。「マルが心変わりしないように、、実はコブは二人の夢をデザインするだけでなく、モルに「インセプション」を実験したのだった。そのために、マルは現実の世界と夢の世界の境界線がわからなくなって、自殺してしまった。その罪が余りに深いゆえに、コブが仕事で 無意識の世界に入るたびに マルが必ず出てきて邪魔をする。 」マルじゃなくてモルだが、彼女が心変わりしないようにでなく、モルはW1にしか関心が無くなりそこに耽溺してしまったため、W0に関心を向けさせようと、この世界=W1は本物ではない、というインセプションを施したのだが、W0に戻ったモルは、この世界=W0は本物ではない、としてW0において自殺するわけだ。「境界線がわからなくなって」という部分は一応合っているわけだが。このモルの自殺は岡田有希子の後追い自殺なんかと同じ構図かな。他にもその頃青少年の自殺が流行っていたようだけど、この世界でなく別の世界へ、という青少年に強く現れる心性と絡んでいるという意味ではこの映画も厨房的。

その点上記2ちゃんまとめは映画の核心に的確に迫っている。2ちゃんも捨てたものではない。上手くバザールモデルが機能する場面もある。

■とはいえ
この現実が本物の現実であり、その他の現実はあり得ないという抜き難い現実感というか実感は何なんだろう。ちょっとずれるが、オウムとか、勉強のよく出来た高学歴の人たちが妙な方向に走ったわけだけど、大多数はそうでなかったしぼくもそうなりようが無いという確信があり、あれを他人事でなく自分のことに引き付けて考えることは無理だったりする。

■W3の雪山でのアクションは面白かったがゴーグルだけがなんかダサくて残念
どこかで予告編か何か見たときも思ったが、ゴーグルだけ非常に安っぽい。3000円くらいで売っている感じ。

そんな感じ。

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